変であること

変である事、
或いは変な人といわれる事。

それを日野先生は、サトカメの佐藤様と共に差別化と書いておられるブログがありました。

それは、それでその通りなのですが、
ふと自分自身に返るとき、
やはり自分自身が変である事を自覚し、
改めて納得していた。

ついつい、以前の学校教育にある・・・
画一化という思想のもと、
人とは変わった事、違う事に対して
罪悪感を感じるような指導がなされ続けてきたように思う。
あるとき、大学の入試において一芸主義を押し出してきた大学があった。
そうして、現在は違う事を大事にする教育が芽生えているように思う。

人はそれぞれベースが違い、味付けも違う。
考え方もそれぞれであるし、
それが交流する事によって楽しみがある。
考え方が違うからこそ、
数人より合えば文殊の知恵も生まれ、
考えが発展する。

だから、あえて私はこう言いたい。
変であれ、そうしてそれを伝えるべきである。
お互い変な同士が伝え合えば、楽しい会話も生まれるであろう。
レールはひかれた上を走るものではなく、
自分自身の後ろに出来ているものである。
苦しければ休んでもいい。
でも、自分を見つめ許す事から、人が見えてきて許せるものではないであろうか?

ご自信が変だと思う方は、どうぞいらしてください(笑)


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2007年11月27日 Posted byso good at 05:05 │Comments(0)blog

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